立教大学と箱根駅伝

History
箱根駅伝戦績
大会往路復路総合タイム
1968年 第44回9位12位11位12:12:10
1966年 第42回12位11位11位12:12:43
1965年 第41回5位12位11位12:23:46
1964年 第40回11位13位12位12:14:58
1963年 第39回11位14位14位13:08:53
1962年 第38回9位3位6位12:39:40
1961年 第37回14位11位14位13:02:40
1960年 第36回7位9位7位12:31:06
1959年 第35回6位3位4位12:18:00
1958年 第34回8位7位7位12:48:05
1957年 第33回4位4位3位12:28:17
1956年 第32回8位7位7位12:35:59
1955年 第31回9位6位8位12:52:52
1954年 第30回7位8位7位12:58:49
1953年 第29回8位8位7位13:01:15
1952年 第28回5位6位6位13:16:10
1951年 第27回9位5位6位13:33:16
1950年 第26回6位8位7位13:53:58
1949年 第25回8位9位9位14:5516
1948年 第24回10位11位11位16:18:19
1943年 第22回7位7位6位14:35:12
1939年 第20回5位4位5位13:57:29
1938年 第19回5位4位4位13:44:27
1937年 第18回5位4位4位13:24:02
1936年 第17回14位8位12位14:50:10
1935年 第16回10位13位13位15:49:56
1934年 第15回10位12位11位15:03:39
箱根駅伝区間賞獲得者
大会区間・氏名
1965年 第41回5区 浜崎真造
1963年 第39回5区 浜崎真造
1962年 第38回6区 瀬沼俊彦
1959年 第35回10区 伊藤貞夫
1956年 第32回3区 伊藤貞夫
1952年 第28回10区 山岸三郎
1943年 第22回1区 伊藤彦一
1937年 第18回10区 青地球磨男

第45回大会以降予選会戦績

  • 大会
    順位
  • 第96回(2019.10)
    23位
  • 第95回(2018.10)
    28位
  • 第94回(2017.10)
    29位
  • 第93回(2016.10)
    33位
  • 第92回(2015.10)
    32位
  • 第91回(2014.10)
    28位
  • 第90回(2013.10)
    26位
  • 第89回(2012.10)
    31位
  • 第88回(2011.10)
    29位
  • 第87回(2010.10)
    26位
  • 第86回(2009.10)
    27位
  • 第85回(2008.10)
    27位 中村嘉孝さん(当時4年)が関東学生連合チームとして8区を出走いたしました。
  • 第84回(2007.10)
    24位 中村嘉孝さん(当時3年)が関東学生連合チームとして9区を出走いたしました。
  • 第83回(2006.10)
    20位
  • 第82回(2005.10)
    23位
  • 第81回(2004.10)
    26位
  • 第80回(2003.10)
    23位
  • 第78回(2001.10)
    25位
  • 第76回(1999.10)
    25位
  • 第75回(1998.10)
    24位
  • 第74回(1997.10)
    27位
  • 第73回(1996.10)
    27位
  • 第72回(1995.10)
    26位
  • 第71回(1994.10)
    30位

OBインタビュー

~立教らしさとは~

第1回 中村嘉孝さん(H21年卒)
※現立教大女子駅伝監督

2020年、創部100周年を迎えた立教大学陸上部の歴史を、これまでの立教を作り上げてきたOBの先輩方に振り返っていただき、「立教らしさ」について発信していきます。記念すべき第1回は、84・85回大会の箱根駅伝を学連選抜で出走した中村嘉孝さんです。現在は公務員として働きながら、立教大学女子駅伝監督を務められています。ご自身の学生時代を振り返り、現役学生にエールを送っていただきました。

4年時に出場した85回大会の閉会式での一枚(左:福田治郎現陸上競技部監督・右:中村さん)

Q:まずはじめに、陸上を始めたきっかけを教えてください。
A:小学校のマラソン大会で周りより速かったことで長距離に興味を持ち始め、中学入学のタイミングで陸上部に入り本格的に打ち込みだした。もともと走るのが好きで、小学校6年間は水泳を習っていたおかげで持久力には自信があった。
Q:数ある大学の中から、なぜ立教大学を選んだのでしょうか。A:大学では福祉の勉強や大学生らしいサークル活動、アルバイトなどがしたかったため、私立大を受験した。複数合格した中で、1番近くて自宅から通える立教大学に決めた。高校3年の夏に競技を引退し、受験勉強に専念したことでかなりのブランクがあった。入学当初は陸上部に入るつもりはなく、福祉の勉強やアルバイトなどに打ち込むつもりだった。
Q:入部するつもりはなっかたとの事ですが、何か入部を決断した決め手があったのでしょうか。A:高校の後輩のお兄さんが当時の立教大学陸上部で主将をしていたこともあり、最初は半ば強引に勧誘を受けた(笑)。以降は、長距離パートの3年生達に熱心に勧誘を受け、1度実際に見学してみると、高校の時は当たり前だった事が当たり前ではなく、指導者がいない中で学生たちで主体的に活動していることに強さを感じた。当時はSt.Paul'sフィールドはなく、もちろん寮もない。全てを学生たちが準備し、学生たちで高めあうこの環境に身を置けば陸上選手として強くなれるだけでなく、自身の成長につながると感じて入部を決めた。
Q:当時の陸上競技部の雰囲気はどのようなものでしたか?A:高校時の5000mの自己ベストが15分一桁の自分が入部すると、即Aチームで長距離部員は13人ほどで予選会にエントリーするのがやっとの状況だった。アスリート選抜入試もなく、陸上部全体の部員数でみても50人ほどだった(現在は約120人)。指導者はおらずアルバイトをしながら勉強にも励み、日によって練習場所も違うなど決して恵まれている環境ではなかったが、上級生を中心に自分たちで高めあっていた。

84回大会で学連選抜関係者の名前がしたためられた襷をかけ力走する中村さん(当時3年)

Q:2度の学連選抜での活動を通して何か感じたことや、印象に残っていることはありますか?A:3年時は現在青山学院大学監督の原監督が学連選抜の監督を務められた年だった。予選会での自分の個人順位は下から2~3番で、すべての練習会や記録会でアピールする必要があった。そんな中で初めての練習会で16000m+3000mという練習があり、16000mは普段の練習でやれていて自信もあり問題なく走れた。だけど、3000mでは、2000mまでは設定タイムがありラスト1000mがフリーだったが、最初の1000mから大幅に設定タイムより速く、全く対応できなかった。その時に、立教の環境では出来ていなかった、練習での競り合いや日々の練習から競争する意識の大切さに気付いた。練習以外でも、強化校の寮や練習以外の事を知り、衝撃を受けたのと同時に、立教のやり方で強化校の選手たちに勝つ事ほどモチベーションになる事はないと、自分の中でスイッチが入った。自分のやりたい学生生活をしながら、自分たちで環境を整えながらでも強化校の選手に勝てる事を自分が証明したいと強く感じた。
Q:2度箱根駅伝を走っての感想を教えてください。A:3年時は、新座キャンパスの体育館に垂幕が作られたり、とにかく学内での盛り上がりが凄かった。もちろん応援の多さもあったが、「おめでとう」ではなく「ありがとう」と言われることが多く、自分の走りがたくさんの人に影響を与えられたことに感動した。走っているときも、個人での出場ということもあり、約20km全てで立教の応援が連なっており、初めての箱根路はホームで最高の走りが出来た。4年時は、調子がなかなか上がらず、2度目ということもあり周囲からの期待が多く、嬉しい反面きついと感じる事もあったが、将来の立教のために出場しなければという使命感を感じていた。結果、3年時ほど満足に走れず、苦い思い出の引退レースとなったが、2年連続で箱根駅伝に出走したことが現在の「立教箱根駅伝2024」事業につながったと感じており、自分の走りは無駄ではなかったと振り返っている。

Q:今、ご自身の大学4年間を振り返って、自分の中で一番の転機となった時期はございますか?A:大学2年時が自分の中で1番の転機となった。1年時は受験勉強による1年近いブランクを戻すのに苦労し、合宿でケガをして一度も走れず土砂降りの中一人でウォーキングをしながら自分について考える事もあった。冬になってようやく1年間の成果が出始め、12月の記録会で5000mで初めて14分台を出した。少しずつ納得のいく走りが出来てきて、関東インカレに出たいと思うようになった。一番の狙い目は1500mだと思い、冬季から春季にかけて徹底的にスピードを磨き、期限ギリギリに標準記録を突破し、関東インカレに出場する事が出来た。次は箱根予選会で学連選抜に入る事を目標にしたが、もちろん自分のために頑張るつもりだったけど、それ以上に、入学当初からお世話になり、入部の決め手となった4年生の先輩たちのラストイヤーということが大きかった。結果的に選抜入りはならなかったが、漠然とした夢だった学連選抜が現実的な目標に変わった瞬間だった。先輩たちと必死になって目指したが叶わず、とても悔しい思いはあったが、この時の挑戦は後の自分にとってとても大切な経験だった。
Q:大学入学前の自分と、卒業時の自分の中で一番変わったことはございますか?A:目標の立て方とその目標に対してアプローチする力は身についたが、1番内面で変わったのは、感謝の気持ちを持つ事。立教の陸上部に入部したことで、当たり前のように部活動が出来る事の大変さや、自分を支えてくれる人の多さに気付けた。学生主体の部の運営に携わることでマネージャーの存在や指導スタッフ、紫聖会(OB会)の支援が当たり前ではない、そして親の支えも当たり前ではない。立教に入り、選手としてただ走っていればいいではダメで、支えてくれる人たちに感謝し、その気持ちを結果で返すことが選手の使命だと考えられるようになった。社会人になった今も、感謝の気持ちを忘れないことはすごく大切にしている。

85回大会で沿道の応援を受け力走する中村さん(当時4年)

Q:中村さんの考える「立教らしさ」とは何でしょうか。A:「学生主体」で活動出来る事。自分たちで目標を定め、自分たちで運営をし、自分たちで高めあう。言われてやっているとどうしても逃げ口を作ってしまうが、自分たちで決めた事なら続けられる。出された練習メニューをやるだけではダメで、自分自身に足りないところを考えて自分で補うことが大切。これは社会に出ても同じ。自分に合う環境を探すことも大切だが、今置かれている環境の中で自分たちの目標達成のために何が出来るか工夫しながら、自分たちのやりやすい環境に変えていくことも大切。いろいろな立場の人の意見を聴き、失敗をしながらも自分の中で最適解を探して挑戦(自己実現)できるのが立教らしさである。
Q:最後に現役学生にエールをお願いします。A:4年間という時間は短いようで長いし、長いようで短い。その時間を生かすも殺すも自分次第。最高の自分(目標)を常にイメージし、それに向けて一日一日しっかり目標をもって過ごすと、小さな差が4年間で大きな差になる。そして立教大学を卒業するときに「立教でよかった」と思えるように、自分たちの可能性を信じて頑張ってほしい!

駅伝主務 早田光佑